「ワリーな徳男、休憩していーぜ」
何組目かの客の相手を終えて一息ついていたところ、背後から耳慣れた声が聴こえて俺は振り返った。そこには三っちゃんと、何故か流川が立っていた。
「うっ……なんつうか……いいんじゃねえの、まあ」
振り返った俺を見るなり、三っちゃんは言葉に詰まっている。
まあその気持ちは解る。自分でもこの猫耳と尻尾は似合っていないと感じてる。俺には、三毛猫よりもキジトラ辺りの模様が良く似合うと思うのだ。
「三っちゃんいない間に何人か指名入って相手したけど、けっこう大変だったぜ」
「指名あったのかよ……。意外と客入ってんじゃん」
三っちゃんは三年三組の教室内を見回した。教室内は喫茶店風に飾り付けられ、カウンター席やテーブル席が設置されている。衝立で仕切られている場所はソファ席のVIPルームで人気だ。一人三十分までの制限がある。
「三井どこ行ってたのよ。サボり!?」
学級委員長兼この模擬店の総監督であるNさんがものすごい形相で現れた。サボっていた自分が悪いことを分かっているだろう三っちゃんが、さすがにバツの悪い顔をしている。
「ちょっと腹痛くてよ……今からやるって」
「絶対ウソだろうけど、許すからちゃんと参加してね」
Nさんは三っちゃん得意のウソをバッサリと切り捨てて、カフェエプロンを差し出した。
「三井がいればさらに繁盛するはずなのよ」
Nさんの気合の入り方に、三っちゃんは少し引いている顔だ。
「なにをそんな張り切ってんだよ」
「クラスごとに人気投票があるの! 一位になると学食割引券がもらえるんだからね」
「ふーん。まあ俺もちゃんと客連れてきたんだぜ、エライだろ」
三っちゃんはいつものように自信満々に身体を反らせてフンと鼻息を吐いた。自信に溢れてる三っちゃんは本当に見ていて気持ちが良い。
「え、えー、流川くんじゃなぁい……?」
Nさんはやっと流川の存在を目に入れたようで、急に態度が変わり、目をキラキラと潤ませうっとりしている。
流川を見る女子は大抵こんなふうになるのが本当に解せないし生意気だし許せん。
「一年のクセにおまえってホント有名人だよな。なあ、今ってVIP空いてねえ?」
「予約入ってたけど、なんとかする!」
Nさんは権力でVIPルームを押さえた。そして、三っちゃんに猫耳と尻尾を付けることを命じた。
渋々といった様子で三毛猫姿の準備を始めた三っちゃんはこの世の可愛いをすべて集めたようにキュートになった。猫耳に、尻尾に、猫柄カフェエプロン。いつものカッコいい三っちゃんも良いが、モフモフした三っちゃんというのはこれはこれで何とも云えない良いものであり、見ているだけで胸がドキドキしてきた。なんだか俺は、新しい世界の扉を開いてしまった気がしている。
流川は前髪をいじりながらそわそわとその辺をウロウロして、いつもと少し様子が違う。こんな三っちゃんを指名した流川が羨ましかったので思いきり睨んでやったが、流川はまったく気にしていないようで、やっぱり生意気だった。
「待たせたな流川。じゃあVIP席行くか」
「ウス」
「三井! 違うでしょ」
Nさんが飛んできて、三っちゃんを窘める。そう──ここでは猫の姿をした者は猫語で話すことを義務付けられている。
「え、俺もやんのかよ……」
察したらしい三っちゃんが、戸惑いの表情を見せて、心なしか頬を赤く染めた。気持ちは解るが、これは絶対的ルールなのだ。
「当たり前でしょ。コンセプトが猫カフェなんだから」
「わーったよ。えっと、席……行くにゃ。これでいーかよ!?」
「ねえ、恥ずかしそうにやられるとこっちまで恥ずかしいから。もっとちゃんとなりきって」
Nさんの正論に、三っちゃんがうっと顔を強張らせた。
「おっまえ厳しいな……。くそ……流川、さっさと席行くニャ。こちらへどーぞニャン」
「……ウス」
満足そうに頷くNさんと、満足そうに表情を緩めた流川を見て、俺もなんだか満足感を覚え、腕を組んで宙を仰いだ。猫の三っちゃんを俺も指名したい。流川が死ぬほど羨ましいが、俺も猫店員なのでそれは叶わない夢だ。
とはいえ、VIPルームに入っていった二人の様子が気になった俺は、休憩時間だとクラスメイトに主張して、衝立の隙間から二人をこっそり観察することにした。二人が目に入る位置のテーブルを確保し、コーヒーを片手に二人に注目する。
「で、注文どーするよ? なんか注文するのがルールだぜ」
「先輩、猫のルールも守って」
微かに声も拾える。VIPルームの席に流川と並んで座った三っちゃんは、メニュー表を開いて流川に見せている。Nさんが見ていないところで猫語を早々に止めた三っちゃんに、流川からの指摘が入った。
「誰も見てねえときはいいだろ?」
「ここって猫カフェなんでしょ」
「……わかったよ。もうこーなったら徹底的にやってやるよ。引いても知らねーからな」
三っちゃんがキレた。流川の方に身体を向き直らせて、一度喉をううんと鳴らして調子を整えた。
「ご指名ありがとうございますニャーン。お客さんここは初めてニャ?」
三っちゃんは流暢に挨拶をしながら首を傾げ、にっこりと流川に微笑みかけた。三っちゃんの本気にさすがの流川も言葉に詰まり、身体を強張らせて、目を丸くしている。
「緊張しないでここではリラックスしてニャ。今日は注文どれにするニャン?」
三っちゃんは慣れた手つきで流川の背中に手を回しながら、メニュー表をすっと差し出した。
「……どっかでそういうバイトしてたんすか?」
「そう思うニャー? まだヒミツだニャン、もっと仲良くなったら教えてあげるニャ。まずは一緒になにか飲むニャン♪」
さすが三っちゃんだ、と俺は感心してしまった。さっきまであんなに嫌そうにやっていたのが嘘のように切り替えが早い。明確には答えずはぐらかすことで客の心を翻弄するテクニックも、自然と繰り出している。仲良くなれる可能性が十分にあることを暗に示しつつ注文を促すとは……プロの猫ホストだ。
「先輩は何飲みてーの?」
「そうだニャ……ホットフルーツティーがいいニャ」
「ウス。俺はホットコーヒーでいいす」
「コーヒーに合わせてバタープレッツェルはどうニャン? 半分こしたいニャー」
「……それもいる。……ポッキーも、あるんすね」
メニューを覗き込みながら流川が云う。
「ポッキー好きニャのか? 俺、ホットドッグも食べたいニャー」
「じゃあそれも。あと、この、……モフモフってやつ……オネガイシマス」
「モフモフ入りますニャーン!」
「ニャーン!」
三っちゃんが大声で叫んだので、店内(教室)の猫たちも大声で一斉に復唱した。ここでは、食べ物以外にもモフモフやピシピシやチェキなどの有料オプションがあり、指名した猫に使うことが出来る。オプションの注文が入ると、店内(教室)の端まで届くように大きな声でコールをするのがルールだ。
というか三っちゃん、サボってたくせにルールをちゃんと把握してるんだな、と俺は心底感心した。さすが天性の猫ホストだ。
「ご注文は以上でいーニャ?」
「ウス」
「すぐ戻るから待ってろニャ」
VIPから出てきた猫耳三っちゃんに俺は声をかけた。
「さすがだぜ三っちゃん……ここで一番高いフルーツティーをすかさず注文しつつプレッツェルをおすすめしつつの、ホットドッグ。オプションも入ったし」
「見てたのか。ふっ、まあ俺は本気出せばこんなもんニャー」
猫語が板についてる三っちゃんは、厨房に注文を伝えると、またVIPに戻っていった。俺も観察を続ける。
「……モフモフって、本当にヤらせてくれんすか。もうヤっていいすか?」
「焦んなよ、まずは乾杯ニャーン」
早くモフモフをしたいらしい流川を宥めた三っちゃんの元に、女子店員がメニューを運んでいく。
「フルーツティーとコーヒーで乾杯っていうのも変な感じだけどニャ」
三っちゃんはホットフルーツティーをカップに注ぎ、流川のカップと合わせて乾杯をした。
「……ポッキー、食べる?」
流川がグラスに数本入ったぼったくり価格のポッキーを手に取る。
「食うニャ」
「あーんしてくんねーとあげらんねーす」
「……なんかマヌケなんだよニャ」
「口開けないとあげねー。指名してる間はそういうルールじゃねーの」
「……わかったニャ」
……三っちゃんが口を開けてあーんをした。そこに流川がポッキーを咥えさせる。
なぜだろう、急に三っちゃんが遠くに感じられて、俺はなんだか寂しい気持ちになった。
そもそも、三っちゃんにポッキーを咥えさせるのは合法なのか? 付き合いの長い俺だってそんな経験はないのに。
「じゃあ、おめーにも食わせてやるかニャ。ニャあーんしろニャあーん」
お返しだとばかりに、いつも精密なシュートを放つ指で摘んだポッキーを、三っちゃんは流川の口に差し入れて楽しげに笑った。妙に甘えた顔で流川がそれを受け入れている様子を俺はわずかな隙間から覗きながら、本当にここはうちのクラスの教室なのかと疑問に思い始めた。空気がここだけピンク色に見えてきた。
「そろそろモフモフもやるニャ?」
「……いーんすか」
流川の表情が変わった。
「いーぜ。ほら、触れニャ」
三っちゃんは体勢を少し変え、制服のベルトに付けた三毛猫柄の尻尾をモフっと震わせた。少しためらったように見える流川が、そっと手を伸ばし、三っちゃんの尻尾をモフモフと上下に擦り始めた。
「……ふわふわス」
「気持ちいーニャ?」
「ウス」
手だけでは物足りなくなったのか、流川は頬を寄せて尻尾の感触を堪能している。
「……金払うほど楽しいかこれ?」
一瞬我に返ったのか、三っちゃんは猫語を忘れて素の三っちゃんに戻った。確かにこれ一回で五百円という金額は高いだろう──他の奴の尻尾ならば。だが、あのプライドが高く自信に溢れ太陽のように眩しい三っちゃんの尻尾となると、価値は途端に変わってくるのだ。
俺もやりたいよ、三っちゃん……。
「……耳も触っていーすか?」
「別にいーニャ」
顎を引き、付け耳の付いた頭を三っちゃんは流川に向ける。流川はその耳をねちっこく何度もさわさわと触っている。この男は、さっきから三っちゃんに対して明らかに言動や手付きがおかしいのだが、三っちゃんは気が付いていないらしく無防備だ。
「……フー。最高すね文化祭って」
バスケで一勝負終えた後のように一息ついた流川は、満足げにモフモフタイムを終えた。
「サボってる上に文化祭なんてなくなればいいって同意してた奴がよく云うニャ」
自分もサボっていただろう三っちゃんが、流川を揶揄う。
「こんなスゲーのあるって知らなかった」
「まあ、おめーが楽しそうなとこってあんま見たことねえし、こんなんで楽しかったっていうならなによりってやつだけどニャ」
優しく云って、三っちゃんはホットドッグをもぐもぐと食べ始めた。
流川は再びメニュー表を手にする。まだなにか注文するつもりなのか。
「オプションのプニプニっていうの、どんなんすか?」
「ああ、肉球触らせるってやつニャ」
「──は? あんたホント……なんでそーいうこと早く云わねーんすか?」
「ニャ? やりてえのか? でも要はさ、手を繋ぐだけなんだよコレ。ホントに肉球があるわけでもねえし、男の手を握ってなにが面白いんだっていう感じだよニャー」
「ヤりてえ。エアでいーから肉球サワル」
「さっきから思ってたけどよ、おまえって、もしかしなくても相当の猫好きだよニャ」
──流川はそんなに猫が好きなのか?
いや、三っちゃん、違うよ。
流川が一番好きなのはたぶん、猫じゃない。
「プニプニ一回オネガイシマス」
珍しく流川の滑舌がやたらと良い。
「ったく物好きめ。プニプニ入りますニャーン!」
なにも気が付いていない様子の三っちゃんは、元気に声を出した。
「ニャーン!」
オプションの注文が入ると店内(教室)が一気に活気づく。
「ほら流川、手ぇ出せニャ」
ホットドッグを食べる手を止めて三っちゃんが差し出した左手に、流川の手の平が重なった。三っちゃんのエア肉球を、流川がプニプニしている。
「ちょっと堀田くんいつまで休憩してんの」
いいところでNさんがやってきて、ワイシャツの首の辺りを猫の子のように引っ張られた。俺の観察タイムは強制的に終了だ。
「今、すごく大事なシーンで──」
「なに云ってるの。堀田くんに指名入ってるよ。五番の席に案内してね」
「え、またか?」
「ギャップがあるから人気なんだよ堀田くんは。はい、猫語忘れずに頑張ってね」
今日はとにかく忙しい日だ。朝からずっと指名は定期的に入っている。先生まで来た始末だ。次はどんな相手だろう。
確認のため入り口に目をやると、そこにはニヤニヤ笑いのチェシャ猫の顔をした桜木軍団が並んでいた。
「おー、おまえもな! 大変だったニャー」
無事に役目を終えて、教室内に設けられた控え空間で俺は猫耳と尻尾を外した。三っちゃんもちょうど同じタイミングで仕事を終えたらしい。
すでに三っちゃんは猫耳を外してしまっているが(俺にとっては残念なことだ)、猫語はまだ抜けていないようだ。三っちゃんは自分の猫語に慌てて、口に手を当てた。
「ヤベ……これしばらく抜けなそうでこえーな。家でうっかり出たらサイアクだろ」
「俺も。でも三っちゃんの猫語は悪くねえぜ」
「そっか? ……っていうか、おまえもちゃんと猫語使ってたんだ? 見たかったぜ」
「いや、恥ずかしいから見ないで良かったよ。それより、これからどうする? どっかの教室見て回る?」
「あ、俺、流川と回る約束しちまったんだよな。おまえも一緒に行くか?」
「ああ、流川……。いや、俺は高嶋と行くからいいよ」
「そっか、ワリーな。ん? なんか俺、今日ずっと流川と一緒に居る気がするな。サボってる時に部室で一緒になってよー」
「そうなの?」
流川は猫耳三っちゃんを結局独り占めして、三十分ルールも捻じ曲げて二時間ほどVIPに居座りつつ、オプションも全種コンプリートしていった。Nさんが流川に甘い顔をしたから可能だったことだ。
「うちのクラスが猫カフェやってるって云ったら、最後なんだからサボらずやれって云われてさ。仕方なくやる羽目になってよ。あー疲れたっ」
そう──三っちゃんは『猫耳なんて付けられっかよ』と云って俺にすべてを任せてサボっていたはずなのに、途中で戻ってきたから俺も驚いたのだ。
ということは、流川のおかげで猫耳三っちゃんが見られたのだから、そう考えると少しはあのぬぼーっとしてる男にも感謝するべきか。
「あいつすげー猫好きなんだぜ。あれはマニアだな。あの流川が、今日ずっとテンションおかしくて笑った」
「それってさ……流川は猫を好きってより、三っちゃんのことを好きなんじゃねえの?」
俺は、薄々思っていたことをズバリ口にしてみた。
「──はあ?」
目を丸くして俺を見つめた三っちゃんは、しばらく間を置いてから、弾けるように笑い出した。
「なに云ってんだ徳男、うわははははははは」
心底面白いという顔をして三っちゃんは高笑いだ。普段から賢くて勘も良く優しいところもあってクレバーなプレーをして見た目もかなり男前で本当に完璧な三っちゃんは、自分のことに関してだけはどこかが抜けていてニブイ時がある。
でも、まあ、そういうどこかが欠けているところも、三っちゃんの魅力の内のひとつなんだよなあ。
それを知っていることは、俺の数ある自慢の内のひとつだ。
お化け屋敷をやっている教室を覗いたり、ジェットコースターを設置していた教室では大きすぎるという理由で断られたり、ダンスパフォーマンスを見学しながらベビーカステラを分け合ったりしつつ、最終的にポテトフライを手にした流川と俺は、ひと気のない廊下の隅に辿り着いていた。騒がしい校内でも、静かな場所はある。
「なに見てんだよ流川?」
ポテトフライを摘みながら、窓の外を見降ろしている流川の視線の先に俺も目をやる。まだ夕方で薄っすらと外は明るい。中庭の一部が見え、普段は置いていないベンチやテーブルが設置されているのが見下ろせた。もう少し後になると、ここでイルミネーションが点灯することになっているらしい。カップルが集まってきそうな企画だ。
流川はふいっと顔を傾けて俺を見た。ほんの少しだけ表情が変わった気がした。いつもクールな目つきが、微かに緩くなった、というような程度のことだが、こいつにもこんなに表情のバリエーションはあったのだ。
流川とこうして一日一緒にいなければ、俺は後輩のそんな一面に一生気が付くことはなかったかもしれない。
「……先輩、あとであれ見に行こう」
「イルミネーションか?」
「ウス」
流川が文化祭を楽しんでいるようで、なんだか俺も嬉しい。本当にこいつは、普段からバスケ以外のことに興味を持っていないのがありありだったんだからな。
──流川は猫を好きってより、三っちゃんのことを好きなんじゃねえの? 徳男が変なことを云っていた。
あいつ、どうかしてるよな。
流川が、俺を好きだなんて。
なのに、そんなことを云われたら、こうやって意識しちまうのは、何故だろう。
考えこんでいたら、右手が温かい感触に包まれた。驚いた俺は下を向く。右の手に、流川が指を絡ませてきた。
「……あ」
これって恋人繋ぎっていうやつじゃねえ?
「プニプニの続き」
戸惑って見上げる俺に、流川は視線を寄越さない。手を繋いだままプニプニの延長を宣言し、誰もが振り返るような端整な横顔を俺に向けたまま、変わらず窓の外を見ている。どこか張り詰めたその表情は、慣れないことをして緊張しているように見えないこともない。
店外でのプニプニはちょっと、と断るべきなんだろうが、何故だか俺はその手を受け入れたまま、にやけそうになるのを堪えるのに必死だった。
おわり
堀田先輩視点楽しいスキ。