トキメキライツ

「頭ポンポンされるのってさあ、壁ドンとかよりずっとトキメクよね」
 教室の後ろに並んだスクールロッカーに寄り掛かった女子生徒Aが云うと、隣に立つ女子生徒Bが「それ、わかるー」と答えた。Bの答えに満足したらしいAは一層声のトーンを上げて「なんか力抜けてホワホワしちゃわない?」と更に同意を求めている。
「私、ユルユルになる」
「どういう状態よ」
「全身の力抜ける」
「同じじゃん」
「あと、感触っていうかさあ、手の存在感? とかも、なんかヤバいよね」
「そうそう、癒されるし〜」
「かまわれてる感もたまらないっていうか」
「私そんなのされたことないんですけどぉ」
 女子生徒Cが会話に参加して、三人がきゃあきゃあとはしゃぐように笑った。
「私が最高の頭ポンポンを実演してあげよう」
「いや断る」
「じゃあ誰にやって欲しい? やっぱぁ、ル──」
「ちょっと! 聞こえたらどうしてくれんの」
「どう見ても寝てるし」
「想像してみなよ? あの手でポンポン」
「手が大きいのってさあ、ポイント高いよねー」
「ねー」
「背も高いと上から来るしね、手が」
「いいねー」
「でもさ、そんなシチュエーションが想像出来ないよ。絶対そういうことするタイプじゃないでしょ」
「さすがに、付き合ってたらしてくれるんじゃない?」
「難易度たかっ」
「そう云えば、この間、二組の子が告って、秒で振られたって。まずポンポンしてくれるほど仲良くなることが難しいわ」
「急にリアルなのやめてー」
 三人分の押し殺した笑い声を耳で拾いながら、流川は突っ伏していた机からのそりと頭を起こした。
(──トキメク?)
 昼食を早くに食べ終えて少しの間眠っていたが、五時間目の授業開始まではまだ時間があるというのに珍しく自然と目が覚めていた。そうして、近くで話し込んでいる女子たちの声を聞くともなく聞いていたところ、寝ている誰かの噂話に変わるまでの話の内容に、思いも寄らず興味を覚えることになった。
(……ワカル)
 頭ポンポンの破壊力はヤバい──と、流川は女子生徒Aの主張に大いに共感していた。力が抜け、ホワホワする、という意見も支持する。手でボールを持つ仕草などとはまるで違い、頭ポンポンの時の手の平にはする側の気持ちが籠められている。髪の毛の上からでもそれが伝わり、頭の皮膚が過敏に反応してしまう。
(くすぐったいのに、ぜんぜん嫌じゃねー)
 手の平を通した優しい気持ちが、体の内側まで伝達されていくような一瞬に、心が躍り、とても幸せな気持ちになる。
 これに付ける名前があるとしたら、それは『トキメク』で間違いない。
 流川の心をときめかせるのはいつも決まった一人だ。元不良のシューターが、ときどき流川の頭を気軽にポンポン触っていく。それは「よお」という挨拶だったり、「ナイッシュー」という賛辞であったり、「おら行くぞ」という合図だったりもする。ポンポンに加えて、瞬く間に髪をくしゃりと乱していくというおまけが付いている時もある。
 何気ないそんな行為の度に流川の胸に微かなトキメキを芽生えさせていることを、当の本人はきっと知る由もないだろう。
 ポンポンの力加減は状況によりさまざまで、優しくても、少々強い力が加わっていても、どちらにもそれぞれの趣がある。流川はどちらでも構わないのだが、これはもちろんする側ではなくされる側としての意見なので、相手がどう感じているのかは一切分からない。けれど少なくとも憎らしいと思う相手にそんな行為は行わないと思え、しかも観察したところ、彼が頭ポンポンを行う相手はどうやら流川のみであるようだった。一体彼がどういうつもりで頭をポンポンしていくのか、知りたい欲求は日に日に高まっていく。
「あれぇ、流川?」
 教室の外へ出ていたはずのクラスメイトの石井がいつの間にか戻ってきて、三つ離れた前の席から流川を見て驚いている。流川が自分の席ではなく窓際の席に座っていることに驚いたのだろう。廊下に面した一番後ろが流川の席だが、窓際の席の持ち主に頼んで次の数学の時間だけ代わって貰ったのだ。
「席、どうして……?」
 石井がメガネを押し上げて訊く。当然の疑問だ。
「体育だから」
「え? 次、数学だけど……?」
「もう少し、寝る」
「えーっと……うん?」
 偽りなく答えたのに石井はさっきよりも余計に混乱したようだ。だがこれ以上説明する気もなく、流川は壁の時計で時刻を確認する。まだ授業の始まりまで時間がある。ちらりと窓の外へ視線を走らせてから、流川は欠伸をした。
 もう少し経ったら、その掌で流川にトキメキを齎す男が校庭に出てくるところが見られるだろう。三年三組の本日の体育の授業がサッカーであることはリサーチ済みだ。朝練の時に、寒いから嫌だと彼が愚痴を云っていたのを聞いていた。
 最近では、ポンポン以前に彼の姿を見るだけで心が浮き足立つようになった。この現象に名前を付けるとしたら『恋』ではないかと秘かに流川は考えている。

おわり
★ちょこっと一言