合宿の醍醐味

 その日、三井は浮かれていた。バスケ部の初めての遠征合宿に心が舞い上がっていたのだ。程度の違いはあれどそれはチームメイトも同様で、もしかすると、あの無愛想な後輩も例外ではなかったのかもしれない。

 数年前に出来たばかりだという常誠高校の合宿所は大層立派な上に綺麗だった。引率の教師は別室だが、湘北チームは全員ひとつの大部屋に収まった。背の高いバスケ部員が十人以上入っても充分に広く、そしてその広い部屋に高校生男子が布団を並べていればどうしたって大人しくしてはいられない。押し入れの中に大量に重ねてあった座布団を誰かが持ち出して、枕投げならぬ座布団投げが始まった。うまくキャッチして投げ返せばセーフだが、身体のどこかにヒットした時は、問答無用で罰ゲームの秘密告白タイムに突入する。三井は赤木を狙い撃ちしたがことごとくヒットせず、逆に何人かに狙われたが、飛んできた座布団はすべて華麗に避けてやった。弱い者が何人か罰ゲームとなり、昔やってしまった失敗談や好きな女子の名前をあげ、そこから自然と始まった下ネタ満載の度が過ぎるお喋りに疲れてきた頃、ぐちゃぐちゃになった布団を余所に一人だけすーすーと軽い寝息を立てて隅で寝ている流川の姿が三井の目に入った。
「あいつ、この状況でよく寝てられんな」
 三井は呆れた思いで云った。流川は初めから参加せず、あれほど騒いだのに平気な顔をして寝相良くずっと眠っている。不思議でならなかった。
「だって流川っすよ。ゴジラが来ても起きないでしょ」
 宮城は布団の上で胡坐をかいてコーラのペットボトルを呷っている。
「みんなそんな感じのこと云うけどよ、大袈裟じゃねえ?」
 確かに流川はいつも寝てばかりだが、ゴジラに踏みつぶされかけたらさすがに起きるだろう。授業中も大体こうです、と石井が云って笑いが起きた。教師がチョークを投げても椅子ごと揺らしても全然起きないらしい。
 初めての合宿、せっかくみんなで盛り上がって遊んでいたのに、一人だけ早寝しているヤツが混じっているなんて白けてしまう。三井は横たわる流川に近づいた。一体、合宿の醍醐味をなんだと思っているのか。
「おし、こいつ寝すぎだから罰ゲーム決定」
 寝てるだけで罰なのか、とあちこちから突っ込みが飛んだが、三井は無視した。上から見下ろすと、湘北で一番女にモテる男は眠っている時もやはり男前だった。むしろ、眠っている時の方が少しばかり目元が可愛くなって更にモテ度が増している可能性すらあった。
「涼しい顔で寝やがって」
「起こさないほうがいいぞ三井」
「本当にやめたほうが……」
「んだよ、おめーらビビりすぎだろ」
 みんな遠巻きにして近寄ってこない。流川の寝起きの悪さは有名だが、実際のところ三井はその様子をはっきりとこの目で見たわけじゃない。だいぶ脚色されているのだろうと内心では思っていた。
「こら、起きろ流川。おまえも参加しろ」
 三井は流川の掛け布団を半分ほど捲った。すると流川が薄っすらと目を開けたがそれは一瞬のことで、三井が捲った布団をのろのろと元に直した彼は「なんぴとたりとも……」と謎めいた言葉を呟いた後、再び目を瞑ってしまった。
「あ。なに云ってんだこいつ」
 すぐに寝直そうとする後輩に呆れながら、再度三井は布団を捲る。
「起きろって」
 案外流川はすぐに目を開けて、「ぁー」と声を出して欠伸をした。やはり寝起きの悪さが尋常じゃないという噂は誇張されているようだと三井は思う。呼びかければこうして一応目を覚ましたし、起き抜けの表情もそれほど悪いようには見えない。
「──なんすか?」
 三井を見上げて、流川は掠れた声を出した。寝ぼけてはいるようだが、意識はしっかりと戻ってきたようだ。
「流川ぁ、おめーも告白しろ」
「……ナニを?」
「おめーの好きなヤツを俺らの前で白状しろ」
「ナゼ……?」
 え〜流川がちゃんと起きて喋ってる、と誰かが云った。遠巻きに二人の様子を見守る部員たちの間にちょっとしたざわめきが走る。だから大袈裟なんだって、と三井は思う。
「順番に云う決まりなんだよ。次はおめーの告白の番」
 三井は嘘を云った。寝ていたのだからどうせバレはしない。流川は黙り込んだが、じっと三井を見上げる目は、いつも余裕を湛えたそれとはどこか違っている。もしかして焦っているのか、と三井の直感が働いた。
「いいだろ、減るもんでもねえし。ここにいる全員、誰にも云わねえって」
 流川は口を噤んでしまった。これは間違いなく答えに窮している、と三井は確信した。
「ってか否定せずにそーやってだんまりってことは、好きなヤツは実際いるってことだよな」
 そんな相手がいないのならいないと一言云えばいいのだ。云わないということは、好きな相手が存在するということだ。あの流川にそんな一般的な感情が備わっているということが判明し、それだけでもちょっとした収穫だ。いや、むしろ感動ものだ。
「もうその辺でやめておけよ三井」
 赤木に窘められて、却って三井に火がついた。絶対に口を割らせたい、そう思う三井とは正反対に流川はどうしても云いたくない様子で、彼は再度掛け布団を掴み返し、三井に背を向けると、自分自身を守るように背中を丸めて布団に包まろうとする。三井は布団の端を掴み、お互いに引かず布団の引っ張り合いになった。
「寝ーるーなーよ、ケチ。いいだろーが教えろ。バスケしかやってません、みたいな面して他にもやることやってんじゃん。なあ誰? 付き合ってんのか? 俺ら知ってるヤツ? だーれーだーよぉ?」
 力任せに布団を引っ張っていても埒があかず、三井はもう一度布団を捲った。すると突然、流川に強い力で腕を掴まれ、ぐいと引っ張られた。次の瞬間には目の前が反転し、今まで流川が寝ていた敷布団の上に身体を転がされたのだと気づいた時には、自分の上に流川が乗っていた。蟻地獄に嵌った蟻のように布団の中に引っ張り込まれたあげくマウントポジションをとられたのだと認識し、さすがにしつこくしすぎたか、と三井は赤木の忠告に反発して執拗に告白を迫ったことを瞬時に後悔した。合宿が楽しくて浮かれすぎたと心の中で云い訳するも、あとの祭りだ。流川の背中に掛かった掛け布団で周囲から隔絶された三井の視界は薄暗く、「だから云ったろーが」と三井の失態を責める声や流川を諌めるみんなの声が聞こえるが、三井に見えているのは、自分をじっと見下ろしている流川の双眸だけだった。冗談にマジに怒るなって、と喉元まで出かかった言葉はしかし、素早く顔を近づけてきた流川に伝えることが出来なかった。
「え?」
 三井は流川の暖かい唇が自分の額に落ちてすぐに離れていくのをただ見ていた。誰にも気づかれないように一瞬だけ触れた流川の唇は、三井にだけ聴こえる声で「これでわかった?」と低く囁いた。
 寝起きの流川はかなりヤバい、を実感した三井は、もう二度と流川を起こすまいと誓った。

おわり
★ちょこっと一言