かくしごと

「あら、なんだろうこれ」
 ホコリがキラキラと舞う部室の中で、マスクをした彩子が二つ折りの紙切れを床から拾い上げた。
「アヤちゃんどーしたの?」
「棚の奥から落ちてきたのよ」
 練習で使う用具が置いてあったスチールラックをどかした時に落ちてきたらしい。折り畳まれた紙を彩子が開くのと、三井がその紙の正体を思い出すのは、ほとんど同時だった。だから、三井には彩子を止めることが出来なかった。
「なんか書いてあるわ。えーっと、『今日もいつものトコ。待ってる♡』ヤダ、なにこれ?」
「えーそれってさ、彼女から彼氏へのメッセージじゃナイ?」
「っぽいわね。ハートマーク付きだもの。でも、なんでこんなものが部室の棚の隙間から落ちてくるの?」
「うーん? さあ?」
「え、なにが出てきたんですか?」
 好奇心旺盛な他の部員が彩子たちを囲んだが、三井は会話に加わらず、同じく加わらずに窓を拭いている流川に一度だけ視線をやった。流川はもの云いたげな顔でこちらを見ていたが、三井は自分のロッカーの片付けに専念しているフリで目をそらした。
 今日は年に一度の部室の大掃除で、普段はやらない窓ガラスや壁の汚れまで徹底的に綺麗にすると彩子が意気込み、部員たちはすでに三十分ほどこき使われている。
 ほとんど使わない棚までわざわざ動かさなくてもいいだろうが、と三井はロッカーの私物を適当に整理しながら内心でぼやいた。彩子が見つけてしまった紙を、棚と壁の隙間に差し込んだのは自分だ。けれど、絶対に名乗り出られない。
 ロッカーの陰でひたすら沈黙を保つ三井に痺れを切らしたのか、流川が雑巾を手にしたままそばに寄ってきた。この状況で来るなよ、と思ったが止めようもない。
「なんでアレがあんなとこにあんの?」
 整った顔を内緒話の間合いまで近づけてきた流川に問い質された。切れ長の目は、いつも以上に冷ややかだ。
「……ワリぃ。ミスった」
 メモを書いた本人である流川は気が気じゃないだろうな、と三井も思うから、謝るしかない。もしも逆の立場だったなら、羞恥心でどうにかなりそうだ。
「理由になってねー。なんでかを知りてーんだけど」
 ロッカーの扉で部員たちとの間に壁を作りながら、小声で会話を続ける。
「アレ読んでたときにちょうど桑田たちが部室入ってきて、慌てて棚の横に突っ込んじまったんだよ」
 流川と三井はときどきちょっとしたメッセージのやりとりをする。いつも他の部員が一緒にいるので、プライベートな話をする機会が作れないときもある。そのため、いつからかお互いのロッカーの扉の隙間からメモを差し込んでおくようになった。それをこの間慌てて棚の隙間に隠して、そのまま回収するのを忘れてしまったのだ。
「ホントに理由はそんだけすか?」
「ああ? そうだよ。後で戻そうと思いつつそのままんなってたわ」
「俺からの手紙はいらねーからあんなトコに捨てたのかと思った」
 流川が拗ねたような顔をする。
「ちげーよ。まあ……ハートとか描くおまえはバカだと思うけど」
「イヤなんすか。じゃあ、やめてもいーけど」
「そ──イヤとは云ってねえだろうが」
「ならウレシイ?」
「う、嬉しいとも云ってねえ。ってか離れろバカ」
 誰かに聴こえては困るため身体を寄せていたが、ぐいぐいと流川が押してくるのでいつの間にか顔が近くなりすぎていた。扉の陰になって誰からも見えていないとはいえ、よくよく注目されたら、こうしてロッカーの前に一緒に居ること自体が不自然に見えるはずだ。
「今、みんなあっちに夢中だからだいじょーぶす」
 流川が、傾けた顔をゆっくりと近づけてくる。その動作で、三井の唇を狙っているのが判る。
「ちょ……」
 躊躇いも見せず真っ直ぐに瞳を覗き込んでくる視線に、魔法のように搦め捕られた。あまり甘い顔をするのもどうかとは思うのだが、三井は流されるまま、目を瞑って流川を待ち受けた。
 そうして万全の態勢でキス待ちをしていたのに、流川はちょんと一瞬触れるだけのキスをしてすぐに三井から離れた。
「ちゃんとしたのはあとで」
 離れ際にそう囁いた流川の目は笑っていた。思ったよりも可愛いキスで拍子抜けだ。後輩にいいように遊ばれたらしい。
「ねえ三井サン! 掃除なんか中断してコレ見てくださいよー」
「ああ!?」
 気を抜いたところに突然呼びかけられて、三井の声はやや無愛想になった。焦りのあまりスチール製のロッカーにごんごんと身体をぶつけながら扉の陰から出て、仕方なく宮城たちの元へ歩み寄る。
「ハートマーク俺も貰いたいなぁ、アヤちゃん」
「自分で書きなさい」
 ばっさり斬られてがっくりと肩を落とす宮城の手から、三井はメッセージを取り上げた。そして読むフリをした。
「ハートマーク付きか。なかなかアレな感じだな」
 云いながら、流川からの無言の抗議を察知したが、視線を送り返すなんて危険なマネはしない。無視だ。
「もしかしたら、私たちの何代も前のバスケ部員同士のメッセージかもしれないわねー。たとえば、女子マネと部員が付き合っていたとか。他の部員に見つからないようにこうやって棚の隙間にメモを隠してやりとりをするのよ。いーわねー、青春だわ」
「なるほどねえ。俺らもやろうよアヤちゃん」
「付き合ってないのになにを書くのよ」
「ウン、だよね……」
 何回自分で自分を殺すんだと宮城を不憫に思いながら、三井はメモをゴミ箱へ放り込んだ。
「あー! なんで捨てちゃうんすか三井サン!」
「考えたって誰のか分かんねえし。もういいだろ。掃除だ掃除。サボんな」
「掃除なんてやりたくねえってさっきまで云ってたじゃねえすか」
「うるせー。とっとと終わらすぞ」
「へいへい。急に真面目ぶるよなー」
 手を止めていた部員たちがそれぞれの持ち場に帰り、三井もロッカーに戻ってホッと一息ついた。
「捨てる物ありました? これに入れて下さい」
 彩子がやってきて、床の上にゴミ捨て用の袋を開いた。三井はしゃがみ込んでロッカーから出た不用品をまとめて放り込む作業に取り掛かる。すると彩子が顔を寄せてきて、小声で云った。
「ねえ先輩。さっき流川とロッカーの陰でなに話してたんですか」
 心臓がどきりとする。見られていたか、と内心焦りながら、それを悟られないように務めて冷静な声を出す。
「別に……掃除のことだ」
「私、さっきのメモの字、なんか見覚えあるんですよねえ。先輩はどうです?」
「……俺は、ねえけど」
「そうかしら? あー私、掃除の後にケーキ食べたいなあ。疲れた身体には甘いものっすよね」
 袋の中身をチェックしながら、彩子がにっこりと笑った。笑顔の裏に、彼女の真意が見え隠れする。
「……あとでケーキ買ってきてやるから、それ以上喋んな彩子」
 これは完全にアウトだ。彩子はすべてお見通し。そう判断して、三井はとぼけるのをやめた。買収の方向へ方針を転換する。
「はーい。目をハートマークにして待ってます。なんてね。あー私も青春したいなー」
 三井は顔から火が出る思いで掃除を続けた。

おわり
★ちょこっと一言
ツイッターで最初に出したやつかもです。