不道徳の時間

 この日の彼は、いつも以上になにからなにまで誰よりも目立っていた。
 コーラルオレンジに塗られた唇。首元には、かっちりと巻かれてリボン型に結ばれたスカーフ。人目を引く特徴的なラインが入った紺色のワンピースには、ウエストの細さを際立たせるように真っ赤なベルトが巻かれている。朝は着ていたはずの揃いのジャケットは暑いから脱いだそうで今はどこかに置き去りだが、最初に見た時はそれもしっかりと似合っていた。
 膝丈スカートの下から伸びた足はナイロンの滑らかな生地に包まれて、表面を黒く光らせている。細くて形は良いが必要な筋肉はちゃんとついているスポーツマンの足の先には、大きな黒いハイヒールが嵌っていた。
 黙って立っていれば、体格の良い背の高い女と云えないこともなくはない。だが、残念なことにこのキャビンアテンダントの偽制服を身に着けた人物は、口を噤んでいるということが出来ない。似合っているし、せっかくの機会だから少し黙って鑑賞だけさせてくれたらいいのにと秘かに思いはするものの、それを云ったらこの場の全員に白い目で見られる未来が簡単に予想出来るから、決して口にはしない流川だ。
「まいったぜまったくよ〜これからまた二時間も店番あんだぜ。うちの出し物決めた奴らあとでマジでぶっとばす。この靴じゃあ動きにくいし、服はキツくて窮屈だしよー。ぜってーもう二度とやんねえぞ俺は」
 三年生の教室が並ぶ廊下の片隅で、スカートの中がギリギリ見えない程度に片足を上げてみせた三井が愚痴をこぼした。眉をひそめて不機嫌そうな顔を作っているが、格好が格好なだけに迫力は皆無だ。
「あんたねえ……そりゃそーでしょ、何回もやるようだったらそれもう趣味」
 いかれた格好の上級生を憐れむように見上げながら、向かい側で宮城がこれみよがしな溜息を吐いた。そう云う彼自身も、いつものポロシャツの上からレースの付いたピンク色のエプロンをしているが、三井の格好と比べたら違和感はないに等しい。
「そういえばミッチーはもともと女男だったもんなぁ。やっぱ趣味だったか」
「だから女男って云うな! んなこと云ってたのおまえだけだからな」
 宮城の隣に立って三井をからかう桜木花道は学生ズボンに白い長袖Tシャツという普段の格好だし、流川も学ランを着ている。こうしてCAのコスプレをしている三井を前にして、つくづく流川は自分のクラスの出し物が地味な展示モノで良かった、と思った。
「でもさ〜確かにこうやって女装してんとこ見ると、あながち花道も間違ってねえじゃん」
「てめーらな! 俺は別に好きでやってるわけじゃねえんだよ!」
「そりゃあそうだろうけどさ。けっこう似合ってるからいーよね。顔ちっちゃいし足細いし。な、流川」
「……でかい女」
「うるせえ評価すんな。これはCAなんだからでかくてもいーんだよ!」
「まあ、見てて面白いから良かったじゃん。ここまでやってて面白くなかったら悲惨っすよ」
 三井のクラスの出し物はコスプレ喫茶だ。ありがちだが、コスプレのレベルがなかなか高くて結構客が入っていると云う。男子はほとんどが女装で、もちろん好きでやっているわけではなく、女子の推薦によってなかば強制的にやらされている。絶対にこんなことをやりそうもない三井が推薦されたのは流川からしてみると意外だったが、実際に三井の接客を見に行ったバスケ部の面々は、文句を云いながらもやることはしっかりやっている三井や、それをいじるクラスメイトのやりとりを目にして、三年になって劇的にキャラ変更をした彼のクラスでの立ち位置を窺い知った。結局のところ、長髪時代をきっぱりと捨て去った三井は、なんかもういじってもわりと平気な人、という立場に落ちついたらしい。
「面白いってなんだよ。そんな変じゃねえだろ。どうせやんなら他の奴らより綺麗になんねえとイヤだぜ俺は」
「あのさ〜、あんた適応力高すぎでしょ」
 満更でもなさそうな顔で三井は腰に手を当てるポーズをとった。
 流川は知っている。三井がなんだかんだでコスプレを楽しんでいることを。朝は浮かない顔をして「サボりてえ」とか「つまんねえからたまに会いにこいよ」などとこっそり流川に泣きついていたくせに、喫茶で客の相手をしているうちに人の視線を受けることが快感に変化したのか、この格好のまま空き時間に校舎を練り歩いて周囲の反応を試しているところを目撃してしまったのだ。
「あ、ヤベー、そろそろ俺戻るわ。暇だったら、クラスの奴とか誰でもいいから客連れてまた来いよ。金持ってる奴な」
「だからぁ、適応力ありすぎっすよー。羞恥心て言葉知ってます!?」
「うっせーぞ宮城! 恥ずかしがってるほうがもっと恥ずかしーんだよ!」
 三井は三井なりに無理やり気分を上げているのか、殊更にヒールの硬い音をコツコツと響かせながら颯爽と自分のクラスに戻って行った。三井が歩く場所は自動的に生徒たちが道を空けているので、混雑した廊下も歩き易そうだ。
 ややガニ股なのが少し残念なワンピース姿の恋人を後ろから眺めながら、流川はやれやれと秘かに項垂れた。


 適当に校内を見て回り、ほとんどの時間を居眠りで過ごした流川は、終わると聞かされていた時間に三井のクラスへ向かった。着替えを手伝え、と昼頃会った時に耳打ちされたのだ。文化祭というこの独特な祭りの雰囲気にのまれたのか、ずいぶん甘えたことを云うものだが、「ぜってぇ来いよな」と終始エラそうな態度が妙に可愛かったので「終わる頃に行く」と安請け合いした。よく考えたら手伝うようなことはなにもないが、三井に呼ばれれば流川はどこへでも行く。
「部室行かねえ?」
 着替えるために使っている部屋は様々なクラスが入り混じって混雑しているというので、女装姿の三井と部室に向かった。部室棟はほとんどひとけがなく、バスケ部の部室にも当然ながら誰も居なかった。体育館が使えないので、今日は部活も休みだ。
「あーつかれたっ」
 部室に入ると、さっきまで姿勢よく立っていた身体を弛緩させて三井がローソファに倒れ込んだ。以前誰かが拾ってきた古いソファは三井の重みでギシギシと音を立てて軋む。
「もー二度とやんねえー!」
 二度も三度もやる機会があったら趣味だろうという宮城の言葉を思い出しながら、流川は三井のスポーツバッグを机の上に置き、中から制服と上履きを取り出して並べた。それから、うつぶせでソファに沈んでいる三井に近寄って指で肩をつついた。
「着替えねーの?」
 すっかり見慣れたCA姿は見る分には悪くないけれど、窮屈そうだし本人は早く着替えたいはずだ。自分だったら、一秒でも早く脱ぎたいと思うことだろう。そもそも女装なんて引き受けたりはしないが。
「……着替える」
 首だけで振り返った三井が疲れた目をして流川を仰ぎ見る。
 ヒールを履いてずっと立ち仕事だったのだからきっと相当疲労しているだろうなと思い、流川は屈み込んで三井の頭を軽く撫でた。
「おつかれっす」
「……ん。靴脱がせろ」
 足を上げてプラプラと揺らしながら流川を上目遣いに見上げる三井の顔には、昼間見たときの口紅は残っていない。首に巻かれていたスカーフもいつの間にか外したらしい。
 云われた通りに流川は三井の足を掴み、黒いハイヒールを外してひとつずつ床に落とした。
「でけー靴」
「古着屋で見つけてきたんだってよ。服も、手芸かなんか出来る女が制服っぽく改造してさ。安くあがってんだよ」
 費用は限られているので工夫で乗り切っているという。当日になってやっぱり女装なんてやりたくないなどとはとても云えないくらい色々な人の手がかかっているのだろう。
「新品なのはこのストッキングだけだぜ」
 制服が皺になるのも気にせず身体を仰向けに直した三井は、右足を上げて流川の目の前に突きつけた。肌が少し透けてみえる六十デニールの黒いストッキングによって、元から細い足が余計に引き締まって見える。立ち姿を見ただけでははっきりと分からなかった光沢のある質感は、これが男の足だと俄かには信じられないような艶めかしさを醸し出す役割を果たしている。
 ツボを完全に捉えた黒い糸の集まりのせいで自然と視線は足に集中する。しかし、三井は流川のそんな不躾な視線を別段気にも留めていないようだ。
「女ってよくこんなの履いてられるよなぁ」
「……便所行くときってどうしたんすか?」
 少し想像してみたが、流川の想像力の域を超えているので映像には結びつかなかった。
「もちろん個室でさあ、そーっと膝まで下ろすんだよ。絶対破んなってコエー女共に云われてっから恐る恐るな。薄くて、強く引っ張るとすぐ破れそうな素材だからさ。で、やっと終わって出てったら、トイレに居た奴らがみんなしてジロジロこっち見やがるしよぉ」
 想像しただけで、苦行であることが分かった。よく耐えられたなと感心しながら、三井の足を眺めた。この足はジロジロ見たくなるのも解る。本当は、足を掴んで裏も表も好きな角度から好きなだけ鑑賞してみたいが、さすがにそれは叶うまい。
「なあ、見てないで早く脱がせろよ」
「俺が?」
 たった今、薄くてすぐに破れそうだと云っていたストッキングを前に、流川は躊躇した。
「決まってんだろ、俺はもう疲れて動きたくねえ。破かねえようにそーっとだぞ。絶対破きそうって女子が云い張ってたから、破れなかったぞって見せて自慢すんからよ」
 自慢の仕方に疑問を覚えたが、三井の考え方には流川の理解を越えた何かがある。努力しても辿り着けない不可侵の領域なので、ツッコミは入れないことにした。
「別に脱がしてもいーすけど……でもこれ、脱いだら返すの?」
「使い捨て」
 三井の脱いだストッキングを誰かが穿くのは嫌だと思ったので安心した。さっそく流川は前に屈み、三井の左足を手で固定すると、膝から下の部分の生地をつまんで足首の方へ勢いよく引っ張った。しかし、弾かれたように三井は足をバタバタとさせて、バカヤローと罵りながら流川の手を叩いてきた。
「人の話聞いてねえのかよ! んなところから力任せに引っ張ったらぜってえ破れんだぞ! もっと上の方からそーっと引っ張れ」
「上のほうって」
「穿くとこからぁ、たわませつつ上手いこと脱がせんの!」
 ソファに寝そべったまま、三井は出し抜けにスカートを捲った。露わになった太腿は、太さの分だけ生地が伸びていて色が薄い。視線を上げていくと、腰の辺りにストッキングの履き口が見えた。その下には黒いパンツが透けて見えている。それは三井がいつも穿いているボクサーではなくビキニタイプだった。なるべく面積が少ないほうが表に響かないからだろう。
 流川はソファの空いた隙間に片膝を乗り上げ、云われたことを遂行しようと履き口に指を引っかけた。広げながら一気に引っ張ろうとしてみたものの、裏側が捲れ上がり更には下着まで一緒に脱げそうになる。
「パンツまで脱がすな! そーっとだっつってんだろ、こっち引いたら次はこっちを引くんだよ」
 文化祭の日に怒られながら自分は何をやっているんだろうという思いが頭の隅を掠めたが、流川は云われた通りに気を配りながら薄布を下に向かって引いた。だがストッキングは想像以上に薄くて脆く、加減をしくじったことにより太腿の付け根の辺りに小さな裂け目を作った。
「あ」
 シマッタと思い、上に引っ張り戻そうとしたところで新たな裂け目を増やし、流川の顔色を見咎めた三井が上半身を持ち上げて現状を確認した。
「あ〜っ伝線しやがった!」
「でんせん?」
「線が入っただろ。糸が切れたんだよ。くっそー、そーっとって云ったろ。もーいいわ下手くそ流川」
 ひどい云われようだ。下手くそと云われるのは、プライドに触る。
「もっかいやる」
「いーよもう」
 再びソファに全身を沈めた三井が、これ見よがしに溜息を吐いた。
「やる」
 三井が逃げないように足の上に乗って体重をかけ、ムキになって再チャレンジしたが、伝線箇所は更に増えて広がった。指先のちょっとしたささくれにも細い糸は引っかかり、小さな亀裂が沢山出来た。裂けた部分は当然肌の透け感が増して、日焼けしていない三井の白い内腿や下着のあちこちが露わになってくる。その様は、傷ひとつ付いていない時よりずっと倒錯的で、流川の性的な衝動を誘発する。
 ストッキングの返却の必要はないらしいし、もうここまで伝線してしまったらこれ以上気をつける意味はない。綺麗に脱がすという云いつけを守ることよりも好奇心のほうが頭をもたげ、流川は伝線して薄くなった糸の間に何本かの爪先を引っかけた。爪の先端で糸を切りながら中に潜り込ませた指を持ち上げると、音もなく裂け目が広がって太い一本の筋が足の上に走った。生身の足には付けられない傷を作っているようで楽しい。
「なにすんだコラ。スケベ」
 三井が咎めるような目線を送ってきた。眉頭には深いシワが何本も刻まれていて、そんなところまで伝線しているかのようだ。
 けれど流川もここまで来たら止まらない。
「こんな薄いもん破いたほうが早い」
「このヘンタイ」
「その格好で云われても」
 流川は改めて見下ろして三井の状態を確認する。スカートはベルトの辺りまで捲って腰から下が完全に露わになっているし、あられもなく広げられた足を包むストッキングの下は普段見ることのない黒いビキニパンツが透けている。おまけに、あちこちに裂け目が出来ている無惨な様は流川の中の嗜虐心を掻き立てる。間違いなく三井もヘンタイの仲間だ。
「マッサージもいる?」
 流川はそう云いながら、太腿にくっきりと走った長い裂け目の両側をつまんで軽く裂き、楕円に空いた穴に指を入れて押し広げた。そこから薄いネットの内側に侵入させた手は皮膚の上をゆっくりと這い回って、立ち仕事で疲れた大腿四頭筋を労わった。手の甲に当たる糸の感触が柔らかくて気持ち良く、流川はその動作を繰り返す。
「……コラ」
 明らかに煽る触り方をしているせいで、三井はもぞもぞと足を動かし始めたが、膝より下には流川の体重がかかっているから身動きは取れない。
「なんかココんとこ、エロいかも」
 ストッキングの縫い目が、三井の下腹部の中央に縦に走っている。センターシームなんて名称を流川は知らないが、視覚的にはこの上なくそそられる。その筋を股下から上へと指で辿っていくと、流川の下で三井が「おまえ、本当にヘンタイじゃねえ?」と呆れたように呟く。
「そっちこそ」
 こんな格好をしている三井が悪いのだ。抑制が効かなくなった流川は三井の膝の裏に腕を回し、ずっしりと重い足を持ち上げると、あちこちに音を立てながら口づけた。糸が切れて薄くなった箇所は舌先でなぞって唾液の痕を付け、別の切れ目には指を捩じ込み、手触りが気持ち良いビキニの上からなだらかな丸みを手の平で包んだ。まだ柔らかさを残しているその部分を、流川は何度も往復させるように擦って刺激を与えた。
 次第に呼吸を乱し始めた三井の手を取って、流川はとっくに収まりのつかなくなっていた自分の性器をズボンの上から触らせた。なにも云わなくても察した三井が流川のモノを擦り始め、斜面を転がり落ちるように二人の行為は激しさを増し、お互いに与える刺激を強めたり弱めたりしながら唇を合わせた。
 流川は三井の咥内に押し入って、逃げる舌を吸う。ときどき息を継いで、その僅かな間に視線と視線を絡ませる。
 頭の中は三井で満ちていた。たぶん、お互いに無我夢中で、早く早くとひたすら昇りつめることを目指していた。しかし、それは部室のドアが外側からコンコンと控え目にノックされるまでのことだった。流川も三井もびくりと身体を震わせて、密着したまま凍りついたように動きを止めた。
「誰か居ますか? 赤木です」
 ドアの向こうから聞こえてきたのはマネージャーの赤木晴子の声だった。
 三井と流川は顔を見合わせる。
「居ないですか? あれ? 居なかったら勝手に開けま──」
「いっ、居る! 三井だ! いま着替えてっから!」
 機転を利かせた三井が咄嗟に言葉を発した。
「あっ三井さん? すみません、やっぱり使ってましたか。鍵がなかったから、誰か居ると思ったんです。私、日誌を戻すの忘れていて、置きにきたんですけど」
 晴子の柔らかい声が返ってきた。ドアが開かれる気配はない。日誌というのは、その日の練習メニューや部で起きた出来事を毎日マネージャーが綴っているノートのことだ。
 流川はホッとして、三井の上に乗ったまま聞こえないように気を付けながら長々と息を吐き出した。ドアが開くかどうか間一髪だったように思った。
「あーそっか……いまちょっと開けらんねえから、ドアの前に置いてっていいぜ。しまっとく」
「じゃあ、お願いします」
 後ろ手を突いて上半身を起こした三井は部室の外の赤木晴子という存在に気を取られていて、血の気が引いた顔でドアを見つめている。廊下でなにかごそごそと音がして邪魔者はもう消えたのかと思い、続きが再開出来ると思った流川は、強請るように三井の太腿をそっと指の腹で撫でた。
「バカ、やめ──」
「えっ、なにか云いましたかー?」
 真顔になった三井がスカートの裾をさっと直しながら流川に向かって口を開きかけたが、再び廊下から赤木晴子の声がする。
 まだそこに居たのかと流川は思い、たぶん三井も同じように思ったらしくぎょっとした顔でドアを凝視し、それから困ったように流川を見上げ、意味もなく咳払いをした。
「あー、ちょっとした、独り言だ」
「そうでしたか。あっそうだ、今日のコスプレ喫茶すごかったです! なんだか私、もう感動しました! やっぱり三井さんが一番綺麗で似合ってました!」
「えっ……そ、そうか?」
 予想外の展開に三井が困惑している。
 感動するような類いのものじゃないだろう、と流川は思ったが、それよりも早く立ち去っては貰えないものかと無い知恵を絞る。だが、流川まで居るとバレたら余計に面倒くさそうだからこのまま黙っていることしか出来ない。三井が上手にさっさとマネージャーを帰らせるしかないのだ。こういう場面を乗り切る話術は、間違いなく三井の方が長けている。
 俺は目の前の男に触りたいだけだし、と流川は三井に邪魔者を任せ、勝手に愛撫を再開した。
「オイ、る──」
「ハイ? どうしました?」
「いや……なんでも、ねえ」
 仕事中はスカーフが巻かれていた首筋に唇を寄せた流川の頭上から、三井の震える声が降ってくる。晴子の声が妙に明るくて場違いで、それがかえって流川を興奮させて、指先は急くように偽CAの胸元のボタンを外しにかかっていた。触ってみると偽の制服は滑らかでなかなか上等そうな生地だったが、流川は中身にしか興味がない。上から順にボタンを外していき、合わせ目を寛げて手を滑り込ませる。インナーは着けておらず、さっき二人で高めあった時に火照った肌の上に、流川はゆっくりと手を這わせた。
「ちょっ……ん」
「なんだか声が苦しそうですけど……大丈夫ですか?」
「──ぁ……だ、いじょぶ……日誌、置いてっていーから」
 三井が敏感に反応する箇所も触れ方も流川は知っている。そういった部分を集中的に指で弄びながら、同時に膝でスカートの裾を捲り上げ、三井の足を押し広げた。
「てめ……」
 晴子には届かないレベルに声を落として、三井が流川を睨み上げる。三井のペニスの変化は、今や下着の上から見ただけでも明らかだ。あちこちが破れたパンストの上から、更に煽るように流川は刺激を加える。
「でも、なんだか声が変だワ。私、着替えが終わるまで待ちましょうか」
「え……ゃ、まだ、ぜんぜん終わんねえ、し……今日着てたやつ、脱ぐの大変だし……いろいろやること、が……ア、あんから」
「そうでしたね! あのCAさんっぽい制服すごく素敵でした〜。一年生の間でも三井さんのクラスは大人気でしたよ」
「そ、そーか、よかった、サンキューな……日誌、置いといてな」
 会話する二人をよそに、流川は淡々と三井への愛撫を続けていた。ときどき三井は流川の髪を掴んだり、身体を押し退けようとしてきたが、本気の拒絶とはとても云えない小さな抵抗で、逆にそれは流川を奮い立たせるスパイスになった。
「ハイ。じゃあ、お願いします。お疲れ様でした!」
「おう……」
 ようやく赤木晴子が立ち去って、廊下が静かになった。途端に三井は流川の頭を叩いてきた。怒っているせいか、興奮したせいか、耳が真っ赤になっている。
「おまえなっ!」
「イテぇ」
「あのまま続けるなよ信じらんねえ、赤木がそこに居んのに、よくあんなこと──」
「でもあんたの萎えてねえ。興奮してたでしょ?」
「う、うるせえなっ。そんないろいろ触られたら、誰だって」
「続きしよう」
「……そんな気、もう失せたって。血の気が引いた俺……」
 疲れたという素振りでソファに沈んだ三井の上に座り直した流川は、三井の細くて短い髪の毛を優しく指で梳かしつつ、顔を近づけた。その行為の意味を問うような三井の視線を受け止めてから、身体を屈めて口づける。気持ちを込めるように軽く触れては離れ、また触れる。その度に流川の前髪が三井の顔をくすぐっていると、ふいに持ち上がった三井の手が前髪を左右に除け、そのまま、滑らせた手で頬を包み込んできた。溜まった唾液をゴクリと飲み下した三井の喉から、鼻にかかった声が洩れる。流川は獣にでもなったような気分で、黒いネットに包まれた三井の足に下半身を押しつけていた。
「ダメだって、云ってんだろ……」
 口づけの合間に零された小さな声は、なんの効力もないただの甘い囁きに過ぎなかった。流川は無視して、素早く自分のベルトを外しズボンを脱ぎ捨てるように床に落とした。下着もずらして股間を晒し、まじまじと注目されるのを感じながら、三井の上に覆い被さった。流川の剥き出しの性器は、三井の下着の中に収まったままの性器と擦れ合う。
 挿入まで持っていけなくても別に良かったが、当然ながら射精はしたかったし、出来ればこの姿の三井を汚してやりたいという願望が湧いていた。すでに気持ちが昂っていたから、布越しの愛撫であっても充分に気持ちが良かった。理性を失って呼吸を荒げていく三井の顔の横に両手を置いて、流川は快感を手繰り寄せるように腰を突き上げて性器を擦りつけた。
 そうして、流川も三井も、いくらも時間をかけない内にあっという間に果てた。


 三井はストッキングの上で流川の白濁を受け止める羽目になってあーあと嘆いていた。
 彼が穿いていたビキニパンツはこの日のために購入した安物だったそうで、このまま使い捨てると云う。幸いにも、ロッカーの中に替えの下着があるというので、流川は三井が汚れた物を脱いでいる間に着替えを用意した。
「なあ流川ぁ」
 三井が流川を呼ぶ。
「俺さ、今日、カッコ良かっただろ?」
 見慣れたボクサーパンツを身に着けた三井が振り返った。やることがなくなった流川はソファに寝そべっていた。眠たくて頭が回らない。返答に困る質問だ。
「俺の女装っぷりはカッコ良かったかって訊いてんの」
 流川は少しのあいだ言葉に窮した。
「……かわいい、じゃなく?」
「ちげえよ。カッコ良いほうがいいだろうが」
 女装をしてカッコ良いかと訊かれてもピンとこない。だが、堂々としたCA姿は確かに決まっていたし、あれがもし、嫌々やっている感を全面的に押し出していたらと想像したら、それはカッコ悪いような気がする。
「文化祭なんて一年の時も二年の時も、ろくなことしなかったからさぁ……でも、今年は最後だしよ。ちょっとは真剣に参加してもいいかなって、思ったんだよな」
 感傷に浸るのは早すぎるかもしれないが、最後なんて言葉はあまり聞きたいものじゃなかった。だが流川は三井の気持ちを尊重したいので、小さく頷いた。
「カッコ良かったっす」
 見た目よりもなによりも、やり切ったところは確かにカッコ良いと流川も思う。バスケだって女装だって、基本的な構造は一緒だろう。三井の頑張りは、本人の次に流川が一番良く知っている。
「な? 惚れ直したろ」
「そーすね」
「おまえも来年やれば」
「それはムリ」
 来年は三井の居ない文化祭だ。
 そんなものに参加する意義を見出せそうもない。別になくてもいい、と流川は思う。
 カッコ良い自分を見せたい相手が居ないのだから。
「いーじゃん、やれよ。バスケ部全員女装したら人呼べるぞ。そしたら俺もぜってえ見に行くわ」
「それホント?」
 沈みかけた気持ちが再び浮上する。想像すると眩暈がしてくるような面子しか居ないし、人が集まろうがどうでもいいし、自分が女装をすることなど絶対にないと思っていたが、引き換えに三井が来るのなら話は別だ。
「先輩が見に来んなら、女装くらいやってもいーすけど」
「え……マジ?」
「その時は俺の着替えも手伝って」
 本来の学生服を身に着け終えた三井が、流川を見下ろしてにんまりと笑った。
 かくて、文化祭での女装はバスケット部の伝統的出し物となった。翌年も翌々年も三井は母校に顔を出す羽目になったという。


『去年の三井さんの女装姿が素敵だったので、今年はバスケット部もコスプレフリースローコンテストを出展することになりました。発案者はなんと流川君です。
みんなが真剣に取り組んでいる姿はとてもカッコ良い! 私たちも慣れない衣装作りにアタフタしていますが、いろいろな人の力を借りて頑張っています! 本番まで、あと一週間!』
 湘北高校バスケット部日誌より抜粋。

おわり
★ちょこっと一言