「ハッピーハロぅーウィン凡人の諸君!」
放課後の部室で部員たちが所狭しとひしめいて着替えをしていたところ、遠慮や配慮といったものをつゆ程も感じさせない勢いでドアが全開になった。扉の向こうに立ち、開くと同時に大声で挨拶らしきものを発声したのは桜木花道だ。
(うるせー)
桜木よりも一分先に到着していた流川は顔を顰めて自分のロッカーを開けた。滅茶苦茶な歌詞の歌を口ずさむ声が少し前から聞こえていたから、ドアが開く前から桜木が来たことは部室にいる全員が分かっていた。挨拶には何らかのリアクションを起こさなければいけないのかしれないが、凡人の諸君と云われては返し辛い。いつものことだが、流川以外の一年生が困った顔を見合わせたところで、桜木の背後からもう一つ声がかかる。
「ウはいらねえんだって。云っただろ」
扉を塞ぐ桜木の尻に膝を打ち当て、早く中に入れと促すようにして厳しい顔で入ってきたのは三井だ。その姿を見て、部員たちの背筋が伸びた。室内の空気が少しだけ変わる。
「ちゅーす!」
「おう」
短い挨拶を返す三井の姿を横目でちらりと確認してから流川は学ランを脱いだ。両手をポケットに突っ込んだままロッカーへ向かう三井は一度も流川のほうを見ない。
「ウがあってもいいだろうがミッチー。ハロぅーウィン! だと挨拶っぽさが増すぞ」
「ったく、おまえの隣歩くの恥ずかしいわ……会う奴みんなに『はろうーうぃん』て挨拶しやがって」
校舎から部室までやって来る短い距離の間に沢山の恥をかかされたらしく憤慨している三井が、ロッカーを勢い良く開けてスポーツバッグを放り込んだ。校舎を出るタイミングが、たまたま桜木とかち合ってしまったのだろう。もう少し遅く教室を出ていれば昇降口辺りで自分も三井と一緒になったのに、と考えながら、流川は練習用にしているTシャツを頭からかぶった。聴いてない素振りを装っているが、実際は彼らの会話に意識が持っていかれている。
「あ、ハロウィンで思い出した」
着替えもせず、何かを探すように三井がバッグの中をごそごそと漁っている。角度的に流川には見えないので音からそう判断した。さりげなく自然な感じを装って様子を窺うと、しばらくして目当ての物を見つけたらしい三井が、ロッカーの扉の陰から顔を出して後輩の名前を呼んだ。
「桑田ぁ」
「は、はいっ?」
三井が呼んだ名前は流川ではなかった。あまりないシチュエーションだったので、呼ばれた方も少し面食らっている。
「手ぇ出せ」
おずおずと近寄った桑田が云われるままに素直に差し出した両掌に小さな包みが載せられた。リボンの付いた黒っぽい包みであるということくらいしか流川には判らない。
「ええっ……これって?」
「ハロウィンの菓子だってよ。クラスの女がくれた。おまえにやる」
「え、それって三井先輩宛てじゃ……なんで俺に……」
「俺、おまえに自腹切らせたことあったろ。夏の予選の時。結局そのままんなってたよな」
「えーっ! アレはだって……あんなの当然のことだし、むしろ俺の気が利かなくて……」
「んなことねえよ」
(予選のとき……?)
流川には二人の会話が理解出来なかったが、どうやらそれは流川だけではないらしく、石井や安田たちも腑に落ちないといった顔をしている。
「でも、普段から飲み物とか奢って貰ってるし」
「それは他のやつと一緒にじゃん。おまえには別のもん返さねえとって思ってたんだよ、いいから貰っとけ。なにが入ってんのかわかんねえけど」
「えー、良いのかなあ……でも、ありがとうございます!」
内容は理解出来ないものの、接点など薄いと思っていた桑田と三井が自分の知らない話をしていることに流川は苛立ちを覚えた。
「なんだよミッチー! ひとりだけズルいぞ! 予選のときってなんの話なんだ」
「もういーんだよそれは。秘密」
「ぬう……クワタ……イマスグこの天才に話せ……さもないと」
「えっ」
「脅すな! 云わなくていいぞ桑田」
しつこく話を掘り下げようとする桜木の声が流川の苛立ちを増幅させる中、やれやれという顔で二年生が桜木を宥めた。誰かが云った「あとでマネージャーがお菓子くれるかもよ」の一言で目の色が変わった桜木は、素早く着替えを済ませると風のように部室を出ていった。彼のいなくなった室内はまるで台風一過だ。あとに続くように他の部員たちも出ていったが、のんびりと着替えをしていた三井と、バッシュの紐をうっかりこんがらからせて解していた流川だけが最後に部室に残った。
「ほら、演技派俳優。おめーにはこれやるよ」
二人きりになった部室で三井が言った。
誰が俳優だ、と云い返したいところだが、実際に流川はたったいま部員たちの前で演技をしたばかりだ。バッシュの紐は、本当はこんがらかってなどいない。部室に残る口実に使ったのだ。
機嫌が良さそうな三井が、ぐーの形に握った拳を流川の前にぐいと突き出してきたので、反射的にそれを受け止めるように手を差し出した。手のひらに拳が押し当てられ、その感触と温もりを受け止めて、本能のままに流川は彼の手を握った。
三井が苦笑する。
「バーカ」
手の中になにかを残して呆気なく離れていった温もりを名残惜しく思いながら、流川は手を開いた。残されていたのは一粒のクロレッツだ。
「……ガム?」
「おまえがあんまり物欲しそうに見てたからよ。それしか持ってねえから、それで我慢しろ」
「物欲しそうになんか見てねえ」
「見てたって」
「予選のとき、なんかあったの?」
気になっていることを尋ねる。
「別に。桑田に飲み物奢らせただけ」
「……それだけすか?」
「他にはなんもねえって」
三井は薄っすらと笑っていて、その態度が余計に流川の面白くない気分に拍車をかける。
「どあほうがうるせーから、ひとりだけかまうのやめたほうがいい」
「桑田にヤキモチ焼くなよ」
「俺は焼いてねえ」
「すげー目で見てたくせに」
云い返せなくて流川は口を噤む。桑田と三井になにかあるなんて本気で考えはしないが、三井と付き合っているのは自分であると誰にも主張出来ない分、不満が溜まっていくのは仕方がない。
すべてお見通しという顔で、三井は嬉しそうだ。なんだかハメられた気がするが、後の祭りだ。手の中のクロレッツを転がしながら流川は溜息を吐き、自分の心に正直になることにした。
「俺は、桑田に出来ないことを先輩とする」
「出来ないことってなんだよ?」
「……これ噛んだらキスしていい?」
流川はクロレッツを口の中に放り込みながら、包み紙を手の中で潰す。
「菓子かいたずら、どっちかだろハロウィンて」
「そんなの知らねー」
爽やかなミントの匂いを吐きながら、流川は三井の口元に唇を寄せた。
タイトルの「Trick but Treat」なんですけど、orじゃなくてbutだと『お菓子くれても悪戯する』っていう意味だとどこかで読んだのです。(どっちも!? なんというワガママ……流川じゃん!)と思ったので即決したタイトルです。
欲しい物は全部自分のモノにしようとする流川が好きだ。日頃表に出さぬよう抑えてはいるけれど、心の中の独占欲すごそう……。それでも、みっちーはそれを楽しんじゃうと思うな。
(*元はハロウィンにツイッターにUPしたもので、サイトでのUP日とは違います)